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100万回死んだ猫から学ぶ”当たり前”の大切さ

南部 真也
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徳島県でトレーナーしたり、栄養士したり、バスケしたり、WEB触ったりといろんなことやりながら日々過ごしています。
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こんにちは、最近いろんな社長の話を聞かせてもらう機会が増えて、毎日勉強に励んでいる南部です。

 

今回は100万回死んだ猫について書いていきます。

 

100万回死ぬとなると健康なのか、不健康なのかあやふやなところですね。でも、この話で一番言いたかったことは何でしょうかね?

 

100万回自分が死ぬとしたらどんな気持ちになりますか?

 

猫は生まれ変わるたびに飼い主を嫌っていました。しかし、そうは思っていても、飼い主は猫を愛していました。その証拠に猫が死ぬたびにワンワン泣いていました。

 

それでも猫が飼い主を嫌った理由は何なんでしょうか??

 

愛されていることに気づかなかったのか?

 

それとも、一部を愛しているだけの人間には心を開かなかったのか?

 

もしかすると最初の人生でかなり満足してしまったのか?

 

例えば、幸せメーターを振り切ってしまい、幸せを感じられなくなったかもしれません。愛されることが ”当たり前” に感じすぎてありがたみ、感謝を忘れてしまったのか?

 

本編に戻ります。この猫は100万回目で野良猫になりました。そこで出会ったある一匹の白猫には今まで猫が受け取ってきた ”当たり前” の愛をくれませんでした。

 

「おれは100万回も死んだんだぜ!」

 

「そう。」

 

そっけないです。今まで猫は愛を当たり前のように感じている立場だったのでむず痒い気持ちになったでしょう。

 

ここであなたにも質問です。

 

当たり前のように感じていることがどれほど大事なのか考えたことはありますか。

 

例えば、食事に対して出てくることが・食べられることが当たり前と感じていませんか?

 

そんなこと無いよ。ちゃんと感謝してるよ!

 

といかたは食を前向きにとらえてくれていますね!

 

だがしかし、食が当たり前に出てくることが普通になっている環境に子どもたちが置かれているのを感じたことはありませんか?

 

コンビニやファーストフードのチェーン店が発展して、当たり前のように当たり前の味を当たり前の価格で当たり前に食べれるよになっています。

 

これの良し悪しは判断できませんが、食に対する興味関心が薄れてしまうんじゃ無いかとぼくは危機感を持っています。

 

 

「当たり前」の反対は「有難い」感謝を忘れてしまった人は何もかも「当たり前」と感じてしまって、感覚が麻痺してしまうかもしれません。

 

その当たり前は失った時に初めて気づくものです。今の子どもたちが今すぐどうにかなるわけではありません。しかし、気づいた時にはぼくらが感じている以上に失うものが多いかもしれません。

 

とりとめも無いことを書きましたが、100回死んだ猫の当たり前が自分に対して、これから未来を生きる子どもたちに対して良い教訓になればと感じています。

 

最終的に何が言いたかったというと、今ある環境、食事、人間関係、その他諸々感謝の気もちをしっかり持とうということです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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